くちびるから散弾銃

長い冬休みがようやく終わった。
ダラけた生活からの早朝登校はさぞかしめんどくさかろうと同情していたのだが、特に嫌がりもせず、かといってはりきりもせず娘たちは以前と同じテンションで家を出て行った。大したものだ。
帰ってきた長女に久々の学校どうだった?お友達と冬休みの話した?などと訊くと、「別に?フツー」とだけ返ってきた。フツー?と訊き返すとやはりフツー。と繰り返す。それ以上訊くのもしつこいよな、と思い、そっかー、と話を打ち切った。
親の存在が前提でない「学校生活」の話を、最近の長女は自分から詳しく話してこない。私に話す必要性をあまり感じていないのだ。
「なかよしグループのあたしたち」で話すとめちゃくちゃ楽しくて面白い話だけど、それをママに話したところでこの面白さはドンピシャで伝んないんだよな、ということが最近増えてきたのだろう。
ちなみに次女はまだその日あった出来事や友達との会話を全て家族と共有したがる。自分の感じたことは全人類にとっても同じく非常に重要なことなのだとまだ思えている。いつまでこうやって話してくれるのかな、などと思いつつ相槌を打つ日々である。


私は雑談がめちゃくちゃ好きな女だ。
園の送迎中たまたま一緒になったママ友と「今日かなり寒いね」「ね〜」と言い合う。職場で作業を進めながら「最近ドクターコトーの再放送観てて〜」「あっそれ私も観てる!」と言い合う。
そんなたわいもない話がとても楽しい。駐車場に着いたら、作業が終わったら、言いかけていたことがうやむやになってしまって、でも別にそれで気にならない。そんな程度の「ながら」会話がちょこちょこあるからやるべきことをなんとか乗り切ってやっていける。
社会で生きていくのが昔からしんどかった。多分死ぬまでしんどいだろう。そのしんどい瞬間瞬間を何でごまかしてやり過ごすかといえば、私の場合は誰かとおしゃべりすることなのだ。
今日何話してたの?と改めて訊かれたら、何ってほどの話はしてないな……としか言いようのない、その場限りのおしゃべりでヘラヘラ笑うと、それだけで少し心が落ち着く。根本的な悩みや問題は何ひとつ解決していないというのに。
新しい環境に飛び込むとき、雑談を楽しめる人がいますように、といつも祈る。気が合わなくてもいい。親しくならなくてもいい。しょうもない会話を一言二言交わせる人がいますように。何しろ私って中身のないおしゃべりが大好きな女だから。


岡崎京子といえば、大抵の人は「リバーズエッジの」となるだろう。私もまずそう言う。一番好きな作品は別にあったとしても、まあとりあえず「リバーズエッジの」と言えば会話になるでしょう、みたいなあの感じだ。
私がリバーズエッジを読んだのは高校生の頃だった。
ショッキングな展開や描かれた時代の空気感や絵柄のオシャレさもさることながら、感受性がヒリついていた若い私の心に一番響いたのは、「あたしたちはずっと何かを言わないですますために放課後延々とおしゃべりしていたのだ」という主人公のモノローグだった。細かい部分は違うだろうが、まあ大体そんな感じのモノローグである。
仲良しの友達のこと全然知らなかった、もっと踏み込んだことも話してくれればよかったのに、という友人の言葉を受けてのモノローグで、物語の流れとしては「お互いもっと向き合って語り合えばよかったのかもね」みたいなニュアンスなのだが、私は何故かこのモノローグにほっとしてしまったのだった。
内面の奥深くを言わないですますためのおしゃべりは、奥底に走ったヒビを修復してはくれない。おしゃべりの間にもヒビはじわじわと広がり続け、いつかその人間関係に決定的な「割れ」を突きつける。分かる。そりゃそうでしょう。腹割った会話って大事ね。分かる分かる。
けれど高校生の私は、「何かを言わずにすますためのおしゃべり」で心がマシになることをもう知っていて、どこかほっとした気持ちでそのモノローグを繰り返し読んだ。みんなもそういうところがあるんだと思えてちょっとよかった。
もちろん深く関わり続ける人間関係なら、向き合って語ったり助けを呼んだりそれに気づいたりし合うのが大切だ。
それはそれとして、園庭から駐車場まで、仕事の作業と作業の合間、家の周りの道ですれ違う瞬間、授業中強制的に割り振られたグループでひとつのことやんなきゃいけないとき、そういうときだけの、「ながら」なおしゃべりの関係が息継ぎになるのも確かだし、それだけの関係というのも結構悪くない。私はリバーズエッジの結末を知った上でそんな風に思えてしまう女の子だった。


初めて読んだ岡崎京子はリバーズエッジで、すごい漫画だなと思ったし前述したモノローグは心に残っているが、そこから全作品どっぷり読み込むほどの岡崎フォロワーにはならなかった。リバーズエッジを薦めてくれた友人が相当な岡崎ファンで、これ読みなよとかあれ読んでどうだった?とか熱を入れて布教してくれたのは覚えている。あの頃クラスに一人はそういう子がいたな。
まあそんな程度の読者なのだが、一番好きな岡崎作品はやはり「くちびるから散弾銃」だろうか。女のおしゃべりが私はつくづく好きである。