ママレード・ボーイとパートのおばさん

子どもの頃、ママレード・ボーイを毎月楽しく読んでいた。
ママレード・ボーイとはりぼんで連載されていた漫画で、吉住渉先生の代表作のひとつである。主人公の両親が離婚して別の夫婦とお互いのパートナーを交換して再婚してひとつ屋根の下で全員まとめて同居することになり、主人公はそこの息子とエエ感じになる、という倫理感がミキサーで粉砕されたような設定なのだが、当時は子どもだったのでそのヤバさに気づかず普通に読んでいた。
そのママレード・ボーイには蛍くんという少年が登場する。主人公の光希がバイトを始めたアイスクリームショップで先に働いていた少年だ。
彼は実は将来を期待された天才ピアニストだったのだが、周りからピアノ漬けにされる毎日に疲れ果て、今はピアノから遠ざかり、本を読んだり音楽とは無縁のバイトをしたりして過ごしている。そう打ち明けられた直後に光希は「せっかく才能があるのにもったいない」と呟き、彼の逆鱗に触れてしまう。
才能があったら絶対それをやらなくてはいけないのか、という蛍くんの叫びは、当時何の才能もない子どもだった私にはなかなかの衝撃だった。
衝撃だったのだが、その後彼がどうなったのかはわりとうろ覚えである。そこからすぐ恋愛絡みの展開になってなんだかんだやってるうちにやれやれピアノまたやるか〜好きなのはまあ確かに好きやしなみたいな流れになったような気がする。今こうして書いていてもその辺りの記憶が全然蘇ってこないので、本当にうろ覚えすぎてびっくりする。まるで違うオチだったかもしれない。そうならごめん。
その後がどうあれ、とにかく「才能があったら絶対それをやらなきゃいけないのか」という視点が描かれたことが私にとっては重要だった。それは才能がない私の人生には存在していなかった、新しい「怒り」の視点だったからだ。


女性の雇用問題について語られるとき、「優秀な女性が子どもを産み育てる選択をしたことにより社会にうまく復帰できず、専業主婦やパートのおばさんに甘んじている現状」という物言いがよくされる。
実際仕事したくてたまらない優秀な女性が、自身の意欲や優秀さとは別の問題のせいで自分に合った仕事をさせてもらえない、という現状はどうにかすべきである。そこが最優先事項なのは間違いない。だからその悲惨さを打ち出す物言いは正しいのだろう。
それを社会に向けて言うのは別にいいのだが、そういう感情を直接専業主婦やパートのおばさん個人に向けてしまうときはちょっと気をつけてほしいな、とは思う。専業主婦やパートのおばさんの未来を思って言ってくれてるのはわかるから、難しいとは思うけど。


子育てに正解はない。周りを見ても自分の育児を振り返ってもつくづくそう思う。
ハチャメチャ有能なキャリアウーマンが母親業に悪戦苦闘したり、よく解雇されねーなというやばい仕事っぷりの人が素晴らしい親子関係を育んでいたり、本当に育児はやってみなけりゃわからないパターンばかりである。
一対一で子育てするより仕事しつつ母親やるのが性に合ってる人もいれば、マルチタスクは追い詰められやすいから子育てに集中した方が楽という人もおり、当然生まれてきた子の健康状態や性格や相性や環境によってこちらのベストな状態は変わっていくし、そこは誰にも分からない。分からないなりに手探りで決めていくしかない。
産んだ本人ですら分からないことなのに、「あなたみたいな優秀な人が子育てなんかで仕事をやめるなんてもったいない」「仕事やめたら簡単に復帰できないって知らないのかな?あなたみたいに優秀な人でもパートに成り下がっちゃうんだよ」「どんなに両立がしんどくても仕事をやめたらあなたの人生終わるよ?せっかく優秀なんだからなんとか我慢して働いた方が賢いよ」はめちゃくちゃ気軽に直接言われてしまう。これらはみんな褒め言葉やアドバイスのつもりだからだ。
そう言ったのと同じ口で「子どもの都合で休まれるの迷惑だからさっさと辞めてほしい」「好きで産んだくせに周りに迷惑かけないで」「あの部署の誰々さん(子が健康とか実家が近くて協力的とか)はこんなにも両立できてる、誰々さんに比べたら他の子持ちは甘えてる」とか言い出すパターンの多さにはびっくりするが。
ただでさえ手探りで決断するしかない産前産後に、「出産育児と仕事が両立できない人間は近い将来必ず詰む」と直接言われてしまうのはなかなかきつい。
幸い私は非常に運が良く、子育て一本に集中するのに向いてないな、と思ったら早々に切り替えて職場復帰ができた。本当にありがたいことに、ごくごく短い時間からスタートして、徐々に長く、時にまた短く、とかなり融通を利かせてもらえたので私のようなポンコツ人間でもなんとか社会に戻ってこれた。
本当に私は運が良かった。でもこういうのが運で決まってしまうのはそれこそ「もったいない」ことじゃないのか。個人ではマジで運に翻弄されるしかない。社会が変わらなければいけない問題だ。
もったいない、は社会に言うべきであって、決断後の個人に向けるべきではない。相手はいい大人である。この世にありがちな仕事と家庭の問題くらい理解している。今出産するような世代はだいたい生まれた時からずっと不景気な世の中を見続けているのだ。
若い頃、「結婚して子どもを産まなきゃ悲惨な人生になるよ」と我々世代は言われてきた。女は結婚して子どもを産まなきゃ肩身の狭い思いをするように社会ができていたからだ。だからみんな、本当によかれと思ったアドバイスのつもりで「こういう社会なんだからこういう生き方しなきゃ将来詰むよ」と言ってくれたのだろう。
今でも若い女に対する結婚出産の圧は異常だが、結婚出産に縛られる社会の方がおかしいんだよという声は昔よりずっと大きくなり、社会に圧をかけ返しているように感じる。いいぞいいぞもっとやれ。
どんな選択をしても気軽にやり直したり持ち直したりできる社会になってほしい。特に先の見えにくい問題に関しては。


ママレード・ボーイの後半の記憶は相変わらず蘇ってこないが、作者があとがきで「最後にキャラみんなカップル成立してくっつくのってダサいと思ってたけど、ママレードボーイの場合はまあアリかなってなった」みたいなことを描いていたのは覚えている。
サイドキャラ同士がどんどんカップルになってくの、やっぱり描いてる側もダサいって思ってたんだ……!と妙に感動したものだ。あれよっぽどうまくやらないとやっぱり冷めるよね。お手頃感がつらい。
とりあえず蛍くんがどうなったのか、今度ちゃんと読み返してみようかなと考えている。