この世の遠くにあるはずの

クリスマスが好きだ。
世の中全体がふわっと浮かれているあの感じにほっとする。子どもの頃は「この日はケーキが食べられる」というワクワク感も嬉しかった。生クリームが贅沢に塗られたイチゴのケーキは、今ほど日常的なデザートではなかった。ブッシュドノエルは写真でしか見たことがなく、シュトーレンは幼い私の世界には存在していなかった。
青春真っ盛りの頃もまだ「恋人同士で過ごすクリスマスこそ至高、恋人がいそうな年頃に恋人と過ごしてないやつは哀れ」みたいな風潮が残っている時代だったが、相変わらず私はクリスマスが好きだった。友達とカラオケで騒いだり手作りのお菓子を持ち寄ってファンタで乾杯したりしてるだけで最高だったし、バイトをするにしてもクリスマス前後はとにかく景気が良く儲かって、むしろ彼氏がいたら予定空けなきゃいけないなんて大変だな、とすら思っていた。
私は陰気でモテないひねくれオタクだが、陰気でモテないひねくれオタクなりにクリスマスを満喫してきたと自分でも思う。
そんな私がクリスマスに対してまだこれはやり残しているなと思うのが、クリスマスマーケットである。


クリスマスマーケットというものを知ったのは「マインドアサシン」という少年漫画からだ。
アラウンドフォーティーオタクの皆様なら大抵「ウッ……」となるであろうあの漫画である。記憶蘇りまくったやろ。どや。
マインドアサシンは他人の記憶や精神を消したり壊したりできる医者が主人公で、1話から数話ほどの短いエピソードからなる漫画なのだが、とにかく暗い。重い。なんかもうつらい。大昔に読んだっきり読み返す機会のないままぼんやりとした記憶で書いているが、今きちんと読み直したら色々邪悪な感想が浮かんでしまいそうだ。
そんなマインドアサシンの中に、主人公がドイツに留学中のゲストキャラと一緒にクリスマスマーケットに行く話がある。細かい話の流れはほとんど覚えていないが、とにかくそのクリスマスマーケットのシーンが素敵で、まだ海外に行ったことのない多感な少女オタクの心に強く響いたのだった。
想像して見てほしい。クリスマスになっても山奥の村は山奥の村のままで夜は暗く、イルミネーションを外に飾る文化もまだなく、クリスマスらしい売り買いの場といえばキラキラモールが飾られたいつものスーパーで、最近までシャンメリーに狂喜乱舞していたような子どもが初めてクリスマスマーケットなるものを知った瞬間を。
またその回がちょっと大人っぽい雰囲気というか、年頃の男女の話なのにいかにも恋愛っぽくはならず、かといってお互い何も特別な感情がないというわけでもなさそうな感じっぽいじゃん?んんん?みたいな微妙なラインで、穏やかに会話だけが進んで終わるのである。小生意気盛りの中高生にはそれが「おえてでぇーれオシャレやげ〜」などと思えたのだ。
学校のジャージ姿で布団(ベッドではない)に寝転んだまま異国の静かな夜を想像する。テレビの部屋(リビングなどという小洒落た空間は存在しない)から大音量で聞こえてくる水戸黄門の再放送が若干邪魔をするが、そこは妄想力の強いオタクである。耳栓などなくとも乗り切ってみせる。
見たことすらないホットワインに憧れながらアルファベットチョコやポテトチップスのりしお味をぼりぼり貪り、以前「世界の車窓から」で見たことのある異国の電車に乗る自分をイメージする。その電車がドイツの電車だったかどうか全く自信がないが、もうなんかそういうことにしておく。私の村の電車は廃線に怯えている。
天井からぶら下がる紐をカチカチして点灯するタイプの蛍光灯の下で、ほの暗いロウソクの炎や愛らしいイルミネーションにきらめく白い雪を瞼の裏に浮かばせる。明日の朝雪かきせんとかんでー、早よ起きなかんでこれはー、などと土間で近所の婆様と喋っている我が家の婆様の声は極力聞こえないふりをする。
何しろ異国なので、石畳の路地で静かに演奏している音楽隊なんかもいるかもしれない。バイオリニストとかかっこいい。バイオリンの生演奏なんて聴いたことないけど。
そこまで妄想したところで仏壇の方からリズミカルにチーンチーンチンチンチンチンチンチンと音がして妹が怒られ始めた。違うそうじゃない。
全く涙ぐましい努力である。穏やかでおしゃれで少しさみしい感じのクリスマス、というのは田舎の学生にはなかなか実現が難しい。そもそも私が穏やかでおしゃれで少しさみしい感じの人間じゃないのだ。情緒が瞬間湯沸かし器でダサ山ダサ子でひねくれているわりにイベントごとにはすぐ浮かれて乗っかっていく。かずいも苦笑いするしかない。
いつか本当にドイツのクリスマスマーケットに行ってみたい。そんなことを考えているうちにあっという間に20年以上経ってしまった。私はまだドイツに行ったことはない。


あの頃に比べて今は海外がぐっと身近になった。旅行はもちろん、インターネットをちょっと覗くだけで簡単にリアルな情報が手に入る。
クリスマスマーケットだって、今や国内の至るところでしょっちゅう開催されている。どこに行ってもオシャレでかわいくて楽しい。輸入雑貨も山ほど並んでいる。
ホットワインは思っていた味と違った。クリスマス系の食べ物飲み物に関してはイメージ通りの味だったことがないので、まあそうだよなと思いながら飲んだ。本当に体がポカポカになるのにはびっくりした。
時代は変わり私も大人になり、まあまあそれなりにリアルなクリスマスマーケットを楽しんできたはずだが、やはりまだどこかで「ドイツのクリスマスマーケットに行って、穏やかでおしゃれで少しさみしい感じを体験したい」という思いが消えない。ここまでくるともう行かない方が夢を見ていられるだろうと薄々分かっているのだが。
私の頭の中で膨らみすぎたクリスマスマーケットは、もはやこの世のどこにも存在しない場所と化している。あまりにも長い間妄想ばかりをし過ぎたのだ。
クリスマスマーケットに限らずそういう場所、食べ物、イベント、書物、映画、それらに対する中途半端な知識とリアルを知りたい欲が悪魔合体して「確かにこの世に存在しているのに私の頭の中にしか存在しなくなってしまったあれこれ」が私の中にはたくさんある。
どれを墓場まで大事に持っていってどれを現実に昇華させるか、これからじっくり選んでいきたい。すべてを現実と答え合わせしてしまうのは、ちょっとだけもったいない気がするのだ。
地元の小さなクリスマスマーケットで買った木製のサンタを飾りつつそんなことを思い出す一日だった。妄想は早いのに支度は遅い。それが私なのである。