社会で憲法について学んだよ、と長女が嬉しそうに教えてくれた。先日のことである。
これって「虎に翼」やん!て思ってなんか面白くなってまった、と長女はご機嫌だった。
「虎に翼」は女性弁護士として、後に裁判官として活躍した実在の女性をモデルとしたNHKの朝ドラである。放送していたのは二年ほど前だ。私も娘たちも毎日楽しく視聴していた。
戦前から戦後にかけての法曹界が舞台なので、当然日本国憲法の話も出てくる。それもかなり印象的な描き方でだ。
当時娘たちは細かな部分まで完全に理解していたわけではなさそうだったが、それでも授業中に「憲法」といえば「虎に翼」で観たぞ、大事なやつだぞ、とすぐ浮かんだらしい。
そういえば以前に算数で割合を習ったときも、「チ。」の手紙に書かれていた「ポトツキに利益の一割」の一割だな!とビビッときてワクワクした、と言っていた。
そのビビッと感、何となく分かる。
漫画や小説や映画やドラマや、とにかく学校の授業以外で得た知識を後から学校で習うとき、妙に嬉しい気持ちよさが走るものだ。だからといってその単元をバチバチ理解できるというわけではないのだが。
「進研ゼミでやったとこだ!」ネタに面白さを感じるのも多分そういうことなのだろう。全く違う日常同士が繋がる瞬間、世界がちょっとだけ広がった気がする。
子どもの頃は娯楽が少なかったので、手の届くフィクションは片っ端から観たり読んだりしていた。内容が分からなくても大して面白くなくてもとりあえずある程度までは辛抱して眺めていた。とにかく暇だったのだ。
「さらば我が愛 覇王別姫」を観たのは中学生くらいの頃だったと思うけれど、その頃私は文革というものをいまいち分かっていなかった。なんかこの時代えらいこっちゃなくらいのことは思った。そのくせ主役の二人に胸が潰れそうな気持ちを抱き、観終わった後はいやーッいい映画やったなァなどと偉そうな感想を述べていた。
その後「小さな中国のお針子」や「初恋のきた道」などの文革が絡む他の映画もいくつか観た。いくつか観たが私の理解度はなんかこの時代えらいこっちゃなからさほど進歩しなかった。当たり前である。資料にあたって調べたわけでもない時代への理解度が、たかだか何本かの映画を観たくらいで深まるわけはない。
ただ、それでも時代の流れの恐ろしさや世代をまたぐ悲しみは、ひどくぼんやりとした、あまりにも個人に集約されたかたちではあるものの、確かに私の中に蓄積されていったと思う。
こういった蓄積は他にもある。
現実でもネットでも様々なデモが立ち上がる昨今だが、それに対してデモやストライキをまとめて暴動のイメージで語る人がいることに最初ちょっと驚いた。
確かに日本は元々そういう運動が盛んではないし、馴染みがないものはなんとなく怖いものだ。それでも雑過ぎるその括り方に、ちょっと驚いてしまった。
別に私だってデモについて詳しいわけではない。はずみで暴動と化す可能性がないとも思っていない。
ただ私はデモやストライキを決意する人たちの映画を昔からいくつか観ていた。多分それだけのことなのだと思う。
たったそれだけのわずかな蓄積が、社会に向けて立ち上がる人間はとりあえずいったん尊重されるべきやろ、という感覚をいつのまにか私の中に浸透させていた。
私は賢い人間ではない。勉強も全然してこなかった。この世のほとんどのうねりを理解していない。そもそも理解以前に知らないことが多すぎる。
けれどそんな私の中にも私なりの、何かを観たり読んだりするたびに滴り落ちた雫が集まって出来た湖がある。
普段静かなその湖は、ふとした瞬間に水面が跳ねる。その一雫、湖の中で混ざり合った、私のものではない悲しみや苦しみや喜びが溶け合ったひとしずくが現実と結びつき、私の思考にうすぼんやりと光る道を示してくれるときがある。
誰に頼まれたわけでもないのに、毎日文章をこねくり回して遊んでいる私である。作文が好きだ。
何かを表現したいと思うとき、私は私の中にある、花園になる予定の場所に向かう。そこには種がいくつも埋まっている。言葉の種だ。どんな花が咲くのかはまだ分からない。
どんな言葉を組み合わせたら私の表現したいことにぴったりのかたちになるだろう。うんうん唸りながらせっせと水を遣る。私の湖から汲んだ水を。言葉の種が芽吹くまで。
「秘密の花園」は、広大なお屋敷に引き取られた主人公が十年間閉ざされていた「秘密の花園」を発見し、仲間と共にこっそり花園を再生させる物語だ。その中で主人公の少女が「あまり細かく手を入れ過ぎないように気をつけないとね」と言いながら手入れをするシーンがある。
整い過ぎないように、きちんと「生きている」花園になるように。確かそんなことを語っていたと思う。
それを思い出しつつ、次は芽吹いたばかりの言葉の種の手入れをする。手入れは難しい。本当にこの言葉を選んでしっくりくるのか。他のと並んでいるところを見るとバランスが悪い気がする。これは背伸びしていい格好しようとしてるな。そういうのは根っこが弱いからすぐ分かる。
かと思えば生えないはずの場所から変な種が芽を出している。でも生々しさがある言葉だ。これは摘むか組み込むかどっちがいい感じになるだろう。悩む。とりあえず水を遣り続けたりちぐはぐだとすぐ分かるものを抜いたりする。勝手に枯れるときもある。この言葉はこの庭には合わなかったのだな、と思う。
それを何度も繰り返し、ようやく私の花園は完成する。
整い過ぎず、だらしなくない、ちゃんと「生きている」花園。他の人からみたらまだまだ不恰好で不揃いな花園かもしれない。
でもとりあえず私は満足だ。別に珍しくもない花ばかりだけれど、すべて私の湖の水を吸い上げて育った花だ。花びら一枚に至るまで私の思想が染み込んでいる。そんなことが嬉しい。次も頑張っていい花園を作るぞ、と思う。
子どもの頃からずっとこうやって文章を作って遊んでいる。全然飽きない。死ぬまでこうやって無数の花園を作って遊んでいたいものである。