そこはいつでもあなたの居場所

12月に入り、本好きの子どもたちの図書館通いはますます楽しいものとなっている。
年末年始の休館に向けて、大抵の図書館は本の貸出の上限をいつもの倍ほどに変更している。気になっていた分厚い本や続きが待ちきれないシリーズを一気にどかっと借りられるのだ。それを運ぶ親は毎回腕がもげる恐怖に怯えているが。
我が家も例外ではなく、絵本やら児童書やらを限界まで借りてきてはあっという間に読み尽くし、また限界まで借りてくるを頻繁に繰り返している。盆と暮れほど念動力が使えたらと思うことはない。
特に長女は最近一冊一冊の本の厚みがどんどん増しており、ついに先日手提げバッグの紐が切れてしまった。バッグ、お前は今までよく頑張ったよ。

こういう話をツイッターですると、えぇ〜私なら子どものための本ってすぐ買っちゃうけどな〜本を高いって思ったことなんかないわ〜貸出待つ時間がもったいなくて嫌じゃない〜?というような、ちょっと含みのある物言いをされることが結構ある。
図書館で本(特に子どもの本)を借りることがさもしい、いやらしいという発想を、私は今までしたことがなかったので本当に驚いた。
確かに買えば永遠に手元に置いておけるし作者や出版社にもお金が入る。それくらいの仕組みはさすがに分かる。
私だって別にすべての本を図書館でのみまかなっているわけではない。好きな本を自分の所有物にする喜びを子どもたちにもできるだけ与えたいと思っている。
けれど、それと図書館で本を借りる楽しさはまた別のものだとも思うのだ。


私は子どもたちには気軽にいろんな本に出会ってほしいと思っている。
図書館はそれを叶えてくれる場所だ。お金の問題だけでなく、親の「これを読ませたい欲」「これは読ませたくない欲」や「ちゃんと読まなくちゃ感」「面白く読めなくてうしろめたい感」からも逃れられる。
本屋だとなかなかこれが難しい。親にこれがほしいとお願いしてお金を出してもらうということ、自分のお小遣いだけで好きな本を好きなように買って読むということ、どちらも小さな子どもにとっては重い現実である。
図書館は公共施設だ。特定の大人の圧を感じることなく自由に本を手に取れるというのは、子どもにとってとても意味のあることだと思う。
だから図書館にはいろんな児童書が置いてあってほしい。売れ筋の児童書なんか本屋でやれ、図書館の予算をそんなケーハクなものに使うな、という意見も見たことがあるが、そんな児童書こそ図書館に必要な本ではないだろうか。友達と共通の話題で盛り上がる楽しさもまた、本を読むきっかけとして充分大事な経験だ。
もちろんそこからすぐ本が好きになる人間ばかりではない。一生本に興味を持たないまま、それはそれとして充実した人生を送る人もいるだろう。とにかく「ここはいつでも誰でも来てよい場所でいろんな本が置いてある、ここに置いてある本はどんな本でも読んでいい、なんと持って帰って読むこともできる」ということを小さいうちに肌で感じさえすれば充分だと思う。自分には「知」の自由がいつでも与えられている、という安心感を人生に活用してほしい。
図書館は公共施設の中でも子どもが利用しやすい場所だと思う。読書は基本的に孤独な趣味である。一人で席に座ってぼんやり過ごしていても何もおかしいことはない。家や学校以外の「居場所」を子ども一人で確保しやすい施設だ。それに気づく機会がすべての子どもにあってほしいと思う。
本がたくさん借りられる期間や朗読会など、図書館では静かなイベントが意外と頻繁に企画されている。そういうのに合わせて足を運ぶのもいい。ここって軽いノリで来ていいんじゃん、と子どもが思ってくれたらしめたものである。