無能の春

若い頃にSNSがなくてよかった。
10代の若者が「勢いとノリ」にまかせた結果インターネットで大炎上、というニュースが流れてくるたびに我々が言いがちなセリフである。
厳密に言えば我々(アラウンドフォーティガールたち)が10代の頃にも既にSNSの原型らしきものがあったのかもしれないが、一般的には普及していなかった。
趣味が合う友達を見つける手段といえば文通一択、ポケベルに憧れ、携帯に着メロの和音をせっせと打ち込み、写メに感激し、ようやくミクシーや同人系の個人サイトが盛んになった頃、我々はもう社会人になっていた。


世の中すっかり春である。
新年度が始まるたび、「若い頃にSNSがなくてよかった」と思う。
10代の炎上ニュースを見たときとはまた違うニュアンスで、心の底からつくづくそう思う。若い頃に、新卒の頃にSNSが今ほど普及していなくて本当に本当に本当によかった。
私はとにかく仕事がデキない。
上の人からの指示が理解できないときはまだマシで(分かりませんとその場で言えるからだ)、大抵指示の意味をトンチンカンに取り違えて理解しており、本人は理解しているつもりなもんだから質問もせず、仕事を進めた結果「そんなやり方しろって誰も言ってなくない!?」と驚かれる。
サラリーマンあるあるな常識、あるいは社内の空気的なルールのような、「普通こういうときは普通にこうするって普通なら新卒の時点でも普通に理解してるもの」みたいな、暗黙の了解の「普通な動き」を理解しておらず、普通さぁ……と「普通に」呆れられる。
一生懸命メモったことも、ちょっと忙しくなったり予想外の出来事が起こったりしたらもうダメだ。頭から中途半端に抜け落ちて作業がしっちゃかめっちゃかになる。
そのくせやる気だけは空回りするほどにあるのでよかれと思った動きが全て裏目に出て結局周りに余計な手間をかけてしまう。
そういう仕事のデキない人間に、「普通」の社会人がイライラしてしまうのはそりゃ仕方ないことなのだろう。迷惑かけてゴメンゴメン。いやマジでそう思ってるよ。
マジでそう思ってはいるんだけど、それはそれとして、「普通」の社会人経験者がSNSで「ウチの仕事できない新人のクソヤバエピソード笑」を披露しまくってるのを見かけるたび、あー私が新卒の頃SNSがこんなんじゃなくてマージでよかった助かった、とも思ってしまう。
関係者が見ればおそらく誰のことか分かるだろうな、というレベルのやらかしをネタツイートとしてペラペラ書き込む先輩、かなり嫌すぎる。
愚痴を吐きたくなる気持ちはもちろん分かるしガス抜きも大切だ。笑いに変えなきゃやってらんねえという環境なのも同情する。けれどやっぱり「書き込まれる側の人間」としては、「こんな無能、非常識な新人にヤレヤレと感じる無能、非常識でない自分たち」がゾロゾロ湧き出る新年度の空気に、ヒエエヒエエとビビってしまうのだった。


私が働き始めた頃にはミクシーがまあまあ普及していたので、職場の先輩たちの中には「クソヤバい使えねー新人のクソミス」について日記を書いていた人もいたかもしれない。
承認制で、拡散という概念もほぼない時代のSNSである。新人時代まあまあなやらかしをしてきた私だが、当時の私のヤバさが不特定多数にまで知れ渡ったとは考えにくい。先輩たちもそんなつもりでは書き込んでいないだろう。
そう考えると本当に今の時代の新卒の人たちは大変だなと思う。拡散、消費といった概念まみれのSNSに慣れた世代が上にたくさんいるのだから。


などと偉そうに被害者ぶって書いてきたが、私も私で会社の愚痴を若い頃はよく自分の個人サイトにぶつけていた。
今思えば「それは会社じゃなくてお前がダメなんだよ」という件もいくつかあったのだが、サイトに来てくれる人たちは誰一人としてそんなことは言わず、常に私の味方をしてくれた。
その人たちが私と同じようにダメな社会人だったから気づかなかったのかというと、決してそんなことはない。私が「それはうめめちゃんは悪くないよ」と判断してくれるような書き方を常にしていたから味方してくれただけだ。インターネットの仕事デキるデキない話はそういうところもある、と肝に銘じておきたい。


人間誰もが初心者の時期がある。
新人を甘やかせとか先輩だから我慢し続けろとは言わないが、インターネットで事細かに晒すのはちょっとだけ待ってあげてほしいなと、無能な元若者の私は思うのだった。