世界一チャーミングな女の子

育児系ツイートを見ていると、「家事育児が無能な旦那マジいらん、女同士で子ども育てる方が絶対うまくいくよね〜」という内容のツイートをしょっちゅう見かける。
「女は気遣いする人生を送らされてきたから共同生活でも色々察してきちんとできる人ばかり、よって女は女同士で生活するのが最適である」が高い共感を呼ぶのは分かる。ほとんどの女性は幼い頃からずっと、社会から一方的にきちんとさせられてきたからだ。そんな女性たちが連帯して声を上げられるようになった現状は素晴らしいと思う。
それはそれとして、「女ならみんな良くも悪くもきちんとできてしまうので」という前提で話が始まるたびに、私は自分の存在がないものとされている「シスターフッド」に喉の奥がヒュン……となるのを感じてしまう。
私は家事も育児も仕事もまるでダメだ。夫の方がはるかにうまく家のことを回している。子どもたちだってパパが大好きだ。はっきり言って私が頑張ったところで大した働きになっていない。むしろ気遣いのできない私がいることで夫の負担はまあまあ増えている。
仕事だって万年役立たずだ。ボロクソ無能扱いされてる上司や同僚や部下のツイートを見ると全部自分のことかと思う。
女同士の連帯は必ずプラスとプラスのパワーになる、という考えに、私は自分が存在することへの罪悪感を覚えてしまう。社会的にマイナスの私が連帯に加わることで彼女たちのプラスになることは何もないからだ。
人並みの仕事もできず、生活能力はポンコツ、人への気遣いも苦手で数十年経ってようやくあのときのあれはこういう意味だったのかと「察する」レベルである。女同士で子育てしたらお互い察し合えるからハッピーに決まってる!という人と一緒に暮らしたら三日で絶縁を申し立てられるだろう。
更に私は頭も良くない。フェミニズムについて日々思うことはあれど、しょっちゅう「間違い」をやらかしている。ああしまったそう言われてみればこの考えも大概だったなと反省することだらけだ。そこも他人に引っ張ってもらうしかないとなれば、「お互い」に高め合える関係性ではない。その「シスターフッド」には私が混ざれる隙間はなく、端っこで一人卑屈にニヤニヤしながら見様見真似でダンスを踊るしかない。
シスターフッドという響きが、実はほんの少し苦手だ。
友達といえば女、苦手で悩む相手といえば女、敵も味方も女、周りやたらと女女女、という環境をなるべく選んで生きてきた。私は女がたくさんいる社会が落ち着くタイプなのだ。男は初手から私を人間扱いしないやつがほとんどである。その点女は大抵の場合外見と内面を総合的に確認した上で私を人間扱いしない判断を下している。誠実である。
じゃあ何でシスターフッドという響きが苦手なのかというと、先ほどのツイートたちのような、「賢い女の子たちのための」という条件が前にくっついている感じにびびっているからだ。私たちは向上し合う関係性であること、というプレッシャーに心がしおれてしまうからだ。


私はグリーンホーネットという映画がそれはもう大大大好きなのだけれど、主人公であるブリット・リードはかなりのダメ人間である。ダメ人間からスタートして最終的にスーパーヒーローになるのかと思いきや、わりと終盤までグズグズ言うとるわ肝心なところでヘマるわ、誰がどう見ても分かる成長みたいなものはそれほどあるわけではない。
それでも相棒のカトーは、そんなブリットの隣にいるだけで嬉しそうである。カトーは最初から最後までそんな感じだ。
カトーにとってブリットはブリットであるだけでもうある程度オッケーって感じなのである。ブリットは「善い人間になりたい」と心の底からの言葉を発した後で全く善さのない行動や言動をポロポロポロポロぶちかましてしまう。でも善い人間になりたいという気持ちは嘘でも一時の気の迷いでもないのだ。自分はそんなことを言える資格がある人間じゃない、という劣等感に常に邪魔をされつつも「善い人間になりたい」と頑張って口にできる、それだけで私もカトーもしみじみしてしまうのである。


カトーがブリットがブリットであるだけである程度オッケーなように、私の友達も私が私であるだけでわりとオッケーなところがある。
私の友達は私の社会的な長所を好きの理由にしていない。別に私には社会的な長所が何一つないからというわけではない(はずだ、さすがに)。私といるときのノリとかがなんか知らんけどたのしーから私のことが好きなのだ。私の生活能力とかシゴデキ具合とか常に賢い思想でもって正しい判断ができるとかそういうところとは全然別に、私という存在をなんかいいよねって思ってくれている。
一緒にいるとなんか知らんけどたのしー、という気持ちはパワーをくれる。そういう浅くて軽い、でも一人では生まれようのない感情も「シスターフッド」と呼んでいいなら私はシスターフッドって最高!と全力で叫ぶことができる。女同士ってチョーたのしー!!と堂々と輪の中に混じり、手に手をとってど下手くそなフォークダンスを踊ることができる。
私は社会における女としては社会の女たちにメリットを与えることが何一つできないポンコツ女だが、私のことを好きな女たちにとっては世界一チャーミングな女の子なのだ。
賢い女の子じゃないことが後ろめたい女の子たちも、世の中にはこれくらい図太い思想で生きてる賢くない女がいると知って安心してもらいたい。社会的な長所の数で強さが決まるシスターフッドなんて本当はないはずだ。みんな生きてるだけで誰かにとっては絶対チャーミングな女の子なんだから。