待合室の本棚は

初めて行った病院の待合室の本棚に、キングダムがキュッと詰まっていた。
キングダムは読んだことがない。始皇帝の話で面白いとはよく聞くが、何しろ巻数が結構あるのでちょっと手を出しづらい。私のような理由で未読の人は多いのではないだろうか。
予約システムがしっかりしており、サクサク順番が回る病院にそんな壮大な物語の漫画がさらりと置かれているのがなんだか妙に面白かった。これは院長の趣味だろうか。それとも待合室の整理整頓を任されている人が購入する本を厳選しているのだろうか。いや、意外と院内の誰も読んだことがなかったりして。巻数が結構あるとは知らず、なんか映画化してたからみんな読みたいかもねくらいの感覚で何巻かまとめて買っただけなのかもしれない。
どれ一巻読んでみるかと思ったところで診察室に呼ばれた。タイミングが絶妙である。


待合室の本棚は、個人の家の本棚とはまた別の味わい深さがある。
個人の本棚には、当然だがその人が好きな本が詰まっている。積ん読にしても「自分が読みたい本」「自分が面白いと思えそうな本」の状態で詰められている。家の本棚でその人の人柄をなんとなく想像してしまうという人も多いだろう。
それに比べて、待合室の本棚はかなり雑味がある。いろんな人が来る、いろんな人のための本棚であり、是非この本を手にとってほしいので並べてありますではなく、待ち時間の暇潰しにどーぞというのが本来の目的である。それでも本棚の中身に権限を持つ人間が忌み嫌う本はさすがに置かれていないだろう。そのあたりのこだわらなさと拭いきれない個人の感覚のまだら具合が面白い。
子どもの頃、視力矯正のために通っていた眼科はホラー漫画がかなり贅沢に揃えてあった。
「本当にあった怖い話」のような、短めの読み切りばかりが載っている雑誌なども置いてあり、ドキドキヒヤヒヤしながらそれを読むのが楽しみだった。待ち時間の限界まで必死に読み込んでいたのをよく覚えている。視力は結局回復しなかった。
あの頃はテレビでも本当にあった怖い話がよく流れており、オカルトブームが確かに来ていた。
それでもホラー漫画が充実した病院というのはあの眼科くらいしか思い出せないから、あれは趣味がかなり入った本棚だったのだろう。
具合が悪くなると時々連れていかれた古い個人病院には、マーガレットや少女コミックがひっそりと数冊置かれていた。りぼん読者だった当時の私にはちょっと大人っぽい雑誌で、これまたドキドキしながらページをめくったものだ。連載途中の漫画をいきなり読むのだから話の細かい部分はさっぱり分からないのだが、それでも面白く読めていたのだからすごい。子どもは途中からの漫画をすぐざっくり理解し面白がれる能力がある。しかしあの能力は大人になるにつれ鈍っていくのは何故だろう。知識が増えて物事を理解しやすくなっているはずなのに不思議なことだ。
ウワーッ気になるところで次号へ続くやねーけ、うちはりぼんしか買ってもらえんでこの続きを読むにはまたここに来なあかん、次が出るまでにまた来るんやろか、でも注射とかは嫌やし……などと考え込みつつ病院を後にする。
だがしかし何度通っても雑誌は更新されない。よく見るとマーガレットも少女コミックも背表紙がボロボロだ。ジャンプに至っては表紙が半分破れているものもある。そう、この病院では待合室の本棚は少女漫画には限らず全ての本が滅多に更新されないのである。
今思うとその適当加減も味があって面白いのだが、当時はこの世にとっくに出ているであろう漫画の続きが気になって仕方なかった。
少し大きな病院なら必ず人気の漫画や最新の雑誌が置いてあるかといえばそうでもなく、聞いたこともないド昭和の古めかしい単行本が揃っていたりもする。あれは本当に誰の采配なのだろうか。病院で働いたことがないから分からない。待合室の本棚に並べる本は誰それが決めがち、という医療現場の傾向があるなら知りたいものである。やはり院長の力が大きいのだろうか。


病院ほど突飛なセレクトではないが、美容院で渡される雑誌を読むのも楽しみのひとつだった。
今はタブレットを渡されて好きな雑誌を好きに選んで読んでくださいという流れが多く、そうするとまあ確かにハズレなしで興味ある雑誌を眺められるのだが、美容師さんの一存で渡される雑誌を読む、という流れも結構好きだ。私ってそう見えます!?という驚きがあったり、そうそうこういうの好きなんですわかります?という妙な照れが生じたりする。
美容院で会話をすると、私の場合大抵癖毛について嫌なことを(悪気なく)言われるばかりなので、極力会話はしたくない。なので雑誌に夢中なので会話はあんまり気分じゃないです、という流れにできるのは正直ありがたかった。あまり読んだことのない雑誌でも集中して読むと意外と面白かったりもする。案外1ページくらいは興味ある記事が載っているものだ。
病院にしろ美容院にしろ、こういう「半ば強引に出会わされた本たち」というのは印象に残るものだ。ある個人の熱意によって手渡された「とっておきにしてほしい本」とはまた違う、こちらからとっつきにいくしかない本との出会い。ハズレても黙って読み潰すしかない時間。そういう個人で仕組みきれない流れがたまに日常の中にあると面白いなと思う。


まあ、そんなことを思うようになったのも最近である。わりと頑丈な人生を送ってきたのだが、ここ最近一気にガタガタといろんなところが崩れて病院に頼る機会が増えた。健康は特権だなと改めて感じる今日この頃だ。本を読む話をブログにタラタラ書く隙間で、もう少し体を動かすべきだとちょっとだけ反省している。