さよならトーマス(再掲)

近々、我が家のプラレールを知人に譲ることになった。
知人の知り合いの子が最近電車に「目覚め」たのだという。
かつて長女が電車に「目覚め」ていた頃、同じように周りから譲ってもらったり自分たちでちびちびと買い足したりしたプラレールたちが我が家には大量にある。かつては毎日床中を線路が走り、絶妙に邪魔なところに駅や信号機や機関庫が立ち並んでいたものだが、ここ最近はあまり見かけなくなっていた。
長女に確認すると、映画撮影ごっこ用のいくつかを残して後は全部譲るよとのことだった。予想通りの答えだ。長女が電車に「目覚め」ていたのは2歳前から5歳になるかならないかのあたりだったと思う。今彼女はもう7歳である。鬼滅の刃とすみっコぐらしに夢中の小学生だ。
そんなわけでプラレールの整理を始めたのだが、次から次へとトーマスのキャラクターたちが発掘される。長女はトーマスが大好きだった。
ハッピーセットがトーマスのときは家族全員でハッピーセットを食べに行ったし、レンタルビデオ店でトーマスの映画を次から次へと借りては観て借りては観て、買い与えたトーマスの図鑑や百科事典はどちらもすぐボロボロになるほど読み込まれた。
長女がトーマスにハマりだした頃、次女を妊娠していた私は前期破水で緊急入院することになった。退院後も絶対安静が続き、あまり長女にかまってやれない日々だったが、トーマスが側にいれば私も安心できた。トーマスはいつどんなときも長女に絶対的な愛と笑いをもたらす存在だった。
こう書くとまるでトーマスが聖母のような存在に思えるが全くそんなことはない。
トーマスの世界の機関車たちはだいたいみんな自分のことばかり考えている。役に立ちたいという志はあるものの、役に立つアピールができそうとあればアピールを優先してしまい本末転倒な結果になったり、ミスをした同僚に皮肉を言ったり、言われた方も即座に痛烈な皮肉を返したり、すぐ調子に乗ったり落ち込んで情緒不安定になったり、まあ遠慮というものがない。教訓的な物語としてのオチはかなり強引に持っていったなと思う回も結構多い。笑いのノリはなかなかにスラップスティックである。
そこがクセになるのだろうか。志高く働きつつも自滅的なポカをやらかす、あの独特のノリにいつのまにか笑ってしまう。あっという間に家族みんながトーマスを好きになった。
そして現在、プラレールたちの中から姿を現したトーマスたちに、長女は「あー」というリアクションを返した。あー。見覚えあるわ。
そんなもんだろうなとは予想していた。
7歳の長女にとってトーマスはもはや遠い記憶の中の、長期休暇のときだけ遊んでいた親戚の子のような存在である。
それでも長女は、手元に残す数点のおもちゃに、特にお気に入りだったトーマスたちを選んだ。それも予想通りだった。
友達は疎遠になっても思い出が薄れても他に近しい親友がたくさん増えても、それはそれとしてなんとなくずっと友達なのである。


趣味や環境が変わってもずっと付き合いが続いているのが本当に気の合う友達である、という意見をよく聞く。それもその通りだと思う。根本的な部分でウマが合う人とは何を話していてもなんとなく楽しい。そういう人は何人もいないから、確かに大切だなと思う。
それと同時に、たとえばクラス替えや進学先でたまたま一緒になった人間と楽しく過ごし、本当に楽しかったはずなのにクラスや進路が別れたらなんとなく連絡を取らなくなったり、いざ会っても話すことが特にない、というパターンも別に見下されるような関係性ではないなと思う。
高3のとき、英語の長文問題でそんなような内容の長文が出題された。
解答を書くよりその文章の「なるほど」に高3の私は集中してしまい、問題を最後まで解ききらなかったような気がする(こう書くとまるでいつもは最後まできちんと解けてましたと言わんばかりだが、まあそこは察してほしい)。
「その場限りの人間関係」だって決して薄っぺらいばかりではない、という結論でその長文は締められていた。そのときその環境でしか育めない関係性は確かにあり、その瞬間が充実していたことが大切なのだ。私たちは楽しかった。私たちにはいい思い出がお互いに存在している。それはそれでかけがえのない、価値のある関係ではないか。
そもそもこれまで環境が変わっても付き合い続けてきた友人だって、この先何があってどうなるかまでは分からない。突き詰めると死ぬ間際になってしか本当の友人判定はできないということになってしまう。
以前、高校時代の同級生に偶然再会したことがある。同じクラスでよく話していた子だが、進路が別れてからはお互い音沙汰なしだった。
彼女は息子を連れていたので、私は「お母さんの高校のときのお友達やよ」と自己紹介をしたのだが、そこに友達は間髪入れず「ちょお、今でも友達やん!」とツッコミを入れた。
そのカラッとしたツッコミと、そのカラッと感にそぐわないほどの熱い内容に私は嬉しくなってしまった。
連絡先は交換しなかったし、この先彼女とは偶然以外で再会することはなかなかないだろう。けれど私は充分だった。この先会わなさそうな友達、という気持ちはとても軽いが決して薄っぺらくはなかった。その軽さが本当に嬉しくて、私はスキップをしてしまったほどである。


長女は今、地上波で放送されているトーマスも観ていない。トーマスのキャラクターの名前もいくつかぼんやりしている。新作映画の情報も知らない。トーマスたちを手に取っても、どうやってあんなに熱中して遊んでいたのか、長女はきっともう思い出せないだろう。
それでもトーマスと長女は今も確かに友達なのである。
今こんなにも大好きな鬼滅の刃やすみっコぐらしのキャラクターたちも、いずれトーマス側に旅立つのだろう。それでもやはり、彼ら彼女らも長女の良き友達のままなのだ。
親として、娘たちにはそういう友達とたくさん出会ってほしいと思う。二次元でも現実でも脳内だけの存在でも構わない。
プラレールを譲る話をしたとき、楽しく遊んでくれる子になら譲るよ、と長女は言った。
かつて長女にたくさんのプラレールを譲ってくれた子たちも同じようなことを言っていた。プラレールは頑丈だ。きっと長女が譲った子も、その次の、またその次の子も同じようなことを言うのだろう。
大量のプラレールをなんとか整理し終わり、やれやれと一息つく。あと数日で受け渡されるそれらは、使い込まれた古い品なのに、どこかさっぱりとした真新しさが感じられた。

くちびるから散弾銃

長い冬休みがようやく終わった。
ダラけた生活からの早朝登校はさぞかしめんどくさかろうと同情していたのだが、特に嫌がりもせず、かといってはりきりもせず娘たちは以前と同じテンションで家を出て行った。大したものだ。
帰ってきた長女に久々の学校どうだった?お友達と冬休みの話した?などと訊くと、「別に?フツー」とだけ返ってきた。フツー?と訊き返すとやはりフツー。と繰り返す。それ以上訊くのもしつこいよな、と思い、そっかー、と話を打ち切った。
親の存在が前提でない「学校生活」の話を、最近の長女は自分から詳しく話してこない。私に話す必要性をあまり感じていないのだ。
「なかよしグループのあたしたち」で話すとめちゃくちゃ楽しくて面白い話だけど、それをママに話したところでこの面白さはドンピシャで伝んないんだよな、ということが最近増えてきたのだろう。
ちなみに次女はまだその日あった出来事や友達との会話を全て家族と共有したがる。自分の感じたことは全人類にとっても同じく非常に重要なことなのだとまだ思えている。いつまでこうやって話してくれるのかな、などと思いつつ相槌を打つ日々である。


私は雑談がめちゃくちゃ好きな女だ。
園の送迎中たまたま一緒になったママ友と「今日かなり寒いね」「ね〜」と言い合う。職場で作業を進めながら「最近ドクターコトーの再放送観てて〜」「あっそれ私も観てる!」と言い合う。
そんなたわいもない話がとても楽しい。駐車場に着いたら、作業が終わったら、言いかけていたことがうやむやになってしまって、でも別にそれで気にならない。そんな程度の「ながら」会話がちょこちょこあるからやるべきことをなんとか乗り切ってやっていける。
社会で生きていくのが昔からしんどかった。多分死ぬまでしんどいだろう。そのしんどい瞬間瞬間を何でごまかしてやり過ごすかといえば、私の場合は誰かとおしゃべりすることなのだ。
今日何話してたの?と改めて訊かれたら、何ってほどの話はしてないな……としか言いようのない、その場限りのおしゃべりでヘラヘラ笑うと、それだけで少し心が落ち着く。根本的な悩みや問題は何ひとつ解決していないというのに。
新しい環境に飛び込むとき、雑談を楽しめる人がいますように、といつも祈る。気が合わなくてもいい。親しくならなくてもいい。しょうもない会話を一言二言交わせる人がいますように。何しろ私って中身のないおしゃべりが大好きな女だから。


岡崎京子といえば、大抵の人は「リバーズエッジの」となるだろう。私もまずそう言う。一番好きな作品は別にあったとしても、まあとりあえず「リバーズエッジの」と言えば会話になるでしょう、みたいなあの感じだ。
私がリバーズエッジを読んだのは高校生の頃だった。
ショッキングな展開や描かれた時代の空気感や絵柄のオシャレさもさることながら、感受性がヒリついていた若い私の心に一番響いたのは、「あたしたちはずっと何かを言わないですますために放課後延々とおしゃべりしていたのだ」という主人公のモノローグだった。細かい部分は違うだろうが、まあ大体そんな感じのモノローグである。
仲良しの友達のこと全然知らなかった、もっと踏み込んだことも話してくれればよかったのに、という友人の言葉を受けてのモノローグで、物語の流れとしては「お互いもっと向き合って語り合えばよかったのかもね」みたいなニュアンスなのだが、私は何故かこのモノローグにほっとしてしまったのだった。
内面の奥深くを言わないですますためのおしゃべりは、奥底に走ったヒビを修復してはくれない。おしゃべりの間にもヒビはじわじわと広がり続け、いつかその人間関係に決定的な「割れ」を突きつける。分かる。そりゃそうでしょう。腹割った会話って大事ね。分かる分かる。
けれど高校生の私は、「何かを言わずにすますためのおしゃべり」で心がマシになることをもう知っていて、どこかほっとした気持ちでそのモノローグを繰り返し読んだ。みんなもそういうところがあるんだと思えてちょっとよかった。
もちろん深く関わり続ける人間関係なら、向き合って語ったり助けを呼んだりそれに気づいたりし合うのが大切だ。
それはそれとして、園庭から駐車場まで、仕事の作業と作業の合間、家の周りの道ですれ違う瞬間、授業中強制的に割り振られたグループでひとつのことやんなきゃいけないとき、そういうときだけの、「ながら」なおしゃべりの関係が息継ぎになるのも確かだし、それだけの関係というのも結構悪くない。私はリバーズエッジの結末を知った上でそんな風に思えてしまう女の子だった。


初めて読んだ岡崎京子はリバーズエッジで、すごい漫画だなと思ったし前述したモノローグは心に残っているが、そこから全作品どっぷり読み込むほどの岡崎フォロワーにはならなかった。リバーズエッジを薦めてくれた友人が相当な岡崎ファンで、これ読みなよとかあれ読んでどうだった?とか熱を入れて布教してくれたのは覚えている。あの頃クラスに一人はそういう子がいたな。
まあそんな程度の読者なのだが、一番好きな岡崎作品はやはり「くちびるから散弾銃」だろうか。女のおしゃべりが私はつくづく好きである。

そこはいつでもあなたの居場所

12月に入り、本好きの子どもたちの図書館通いはますます楽しいものとなっている。
年末年始の休館に向けて、大抵の図書館は本の貸出の上限をいつもの倍ほどに変更している。気になっていた分厚い本や続きが待ちきれないシリーズを一気にどかっと借りられるのだ。それを運ぶ親は毎回腕がもげる恐怖に怯えているが。
我が家も例外ではなく、絵本やら児童書やらを限界まで借りてきてはあっという間に読み尽くし、また限界まで借りてくるを頻繁に繰り返している。盆と暮れほど念動力が使えたらと思うことはない。
特に長女は最近一冊一冊の本の厚みがどんどん増しており、ついに先日手提げバッグの紐が切れてしまった。バッグ、お前は今までよく頑張ったよ。

こういう話をツイッターですると、えぇ〜私なら子どものための本ってすぐ買っちゃうけどな〜本を高いって思ったことなんかないわ〜貸出待つ時間がもったいなくて嫌じゃない〜?というような、ちょっと含みのある物言いをされることが結構ある。
図書館で本(特に子どもの本)を借りることがさもしい、いやらしいという発想を、私は今までしたことがなかったので本当に驚いた。
確かに買えば永遠に手元に置いておけるし作者や出版社にもお金が入る。それくらいの仕組みはさすがに分かる。
私だって別にすべての本を図書館でのみまかなっているわけではない。好きな本を自分の所有物にする喜びを子どもたちにもできるだけ与えたいと思っている。
けれど、それと図書館で本を借りる楽しさはまた別のものだとも思うのだ。


私は子どもたちには気軽にいろんな本に出会ってほしいと思っている。
図書館はそれを叶えてくれる場所だ。お金の問題だけでなく、親の「これを読ませたい欲」「これは読ませたくない欲」や「ちゃんと読まなくちゃ感」「面白く読めなくてうしろめたい感」からも逃れられる。
本屋だとなかなかこれが難しい。親にこれがほしいとお願いしてお金を出してもらうということ、自分のお小遣いだけで好きな本を好きなように買って読むということ、どちらも小さな子どもにとっては重い現実である。
図書館は公共施設だ。特定の大人の圧を感じることなく自由に本を手に取れるというのは、子どもにとってとても意味のあることだと思う。
だから図書館にはいろんな児童書が置いてあってほしい。売れ筋の児童書なんか本屋でやれ、図書館の予算をそんなケーハクなものに使うな、という意見も見たことがあるが、そんな児童書こそ図書館に必要な本ではないだろうか。友達と共通の話題で盛り上がる楽しさもまた、本を読むきっかけとして充分大事な経験だ。
もちろんそこからすぐ本が好きになる人間ばかりではない。一生本に興味を持たないまま、それはそれとして充実した人生を送る人もいるだろう。とにかく「ここはいつでも誰でも来てよい場所でいろんな本が置いてある、ここに置いてある本はどんな本でも読んでいい、なんと持って帰って読むこともできる」ということを小さいうちに肌で感じさえすれば充分だと思う。自分には「知」の自由がいつでも与えられている、という安心感を人生に活用してほしい。
図書館は公共施設の中でも子どもが利用しやすい場所だと思う。読書は基本的に孤独な趣味である。一人で席に座ってぼんやり過ごしていても何もおかしいことはない。家や学校以外の「居場所」を子ども一人で確保しやすい施設だ。それに気づく機会がすべての子どもにあってほしいと思う。
本がたくさん借りられる期間や朗読会など、図書館では静かなイベントが意外と頻繁に企画されている。そういうのに合わせて足を運ぶのもいい。ここって軽いノリで来ていいんじゃん、と子どもが思ってくれたらしめたものである。

ロード・オブ・アンパンマン

娘たちは今日も今日とてTikTokでバズったダンス動画を眺め、一生懸命練習している。
仕事から帰ってきた母親が「あ〜寒い寒い、外マジでサムシングエルスやよ〜」などと声をかけても無視である。咳をしても一人、使い古されたネタを呟いても一人。
娘たちのダンスにかける気合いはかなりのもので、どうやらクリスマスパーティーで友達同士披露し合うらしい。この曲よくない?この動画よくない?とTikTokで流行っているらしい何曲かを次々聴かされたのだが、いいとか悪いとか何も分からなかった。街中で同じ曲が流れていても気づかないと思う。これは完全に私の方に問題がある。感性が90年代で止まっているから仕方ない。寒くなったら無意識にディパーチャーズを口ずさんでしまうおばさんである。
だがしかし令和の子は平成レトロ(平成レトロ!)に寛容である。なんかよさそうな昔のクリスマスの曲とか知らんの?と話を振ってくれるので優しい。
昔からクリスマスといえばマライアキャリーやろという信念が私にはあるのだが、せっかく話を振ってもらえたのだからもうちょっとひねりのある曲を出したい。ママはママなりに気を遣って考えた。クリスマスソングは楽しそうなのも切ないのも大体好きだ。そういえばパーティーにはお友達のきょうだいのおちびちゃんも参加すると聞いた。じゃあアンパンマンのジンジンジンなんていいんじゃないか。
さっそく歌って聴かせてみたが、娘たちの記憶には全く残っていないようだった。仕方ない。8歳と6歳だ。アンパンマンブームは遠くなりにけり。


本人たちはすっかり忘れてしまっているが、逆に親の方がよく覚えているアンパンマンのあれこれ、みたいな話はよく聞く。さすが何十年も人気コンテンツとして走り続けているだけのことはある。
私がいまだにすぐ思い出せるアンパンマンネタとしては、「いのちの星のドーリィ」という映画、「しょうがない〜しょうがない〜」と笑顔で諦念あふれる歌を歌うしょうがないさんというキャラクター、そして「ジンジンジン」というクリスマスソングの三つが強い。
「いのちの星のドーリィ」はドーリィという人形がゲストキャラクターとして登場する。このドーリィがアンパンマンワールドにインターネットがあったら百万回炎上すること間違いなしのいい性格しとる人形で、そのキャラ性だけでも強烈なのだが、とにかくストーリーが凄まじく重い。娘に付き合って観ていただけのはずが、途中から完全にひとりの観客として心を持っていかれてしまった。
しょうがないさんは特に何というエピソードがあるわけではないのだが、嘆く人々にしょうがない〜と歌ってそして去る(ただ歌って去る)のがジワジワきて、幼い娘たちが何かやらかすたびにしょうがない〜しょうがない〜と歌って荒れる自分の心をよく慰めていた。
そして「ジンジンジン」である。
コキンちゃんのクリスマスの話で確か歌われていたと思う。正直そのへんのストーリーはあまり覚えていない。ただこの「ジンジンジン」という曲があまりにも物悲しい歌詞が続いており、それでいて美しい光景が歌われており、作詞がアンパンマンの作者であるやなせたかし先生だということが私の心に強く響いた。
確か作中でキャラクターたちはみんな楽しそうにこの曲を合唱していたはずだが、歌詞は一発目から「涙の谷を越えたから 青くやさしい夜が来る」である。涙の谷。やさしい夜。もう既に結構なやるせないイベントをひとつふたつ越えてきましたという視点。ヤバい。切なめのメロディがまたぐっとくる。
その後も「あふれる愛の思い出が心に疼く夜がふける」「時間の砂が降り積もる」といった過去を背負っているような(もしくは背負っていくことを予感しているような)時間の重みを感じるフレーズが続き、おそらくトナカイであろうルドルフとやらはまつげに雪を積もらせ涙ぐんでいる。何があったんやルドルフ。
最後に「しあわせすぎるクリスマス」がはっきりと出てくるが、それまでが切ない世界観過ぎて本当に現実でしあわせに過ごしているクリスマスということで解釈合ってるか?ルドルフも大丈夫か?そうであってくれ……と祈りたくなるところもいい。是非一度聴いてみてほしい一曲である。


娘たちがアンパンマンにハマっていたのはもう5年近く前になるだろうか。アンパンマンにしろトーマスにしろ鬼滅にしろ、幼い頃の子どもの趣味に関しては、本人よりも子どもに付き合って観た親の方が細かいところをじっくり覚えているものだ。そのうち別に付き合ってもらわなくてもいいよとなり、どんどん子どもの文化が分からなくなっていくのだろう。TikTokの話についていくのは諦めた。
親戚のおばさんたちが、成長しつつある私や妹たちにいつまでもキャラクターもののお菓子や小物を買い与えてニコニコしていたのを思い出す。
ああ、おばさんたちの気持ち、今ならすごくよく分かるよ。同じ道を私も今から歩いていくところだから。

この世の遠くにあるはずの

クリスマスが好きだ。
世の中全体がふわっと浮かれているあの感じにほっとする。子どもの頃は「この日はケーキが食べられる」というワクワク感も嬉しかった。生クリームが贅沢に塗られたイチゴのケーキは、今ほど日常的なデザートではなかった。ブッシュドノエルは写真でしか見たことがなく、シュトーレンは幼い私の世界には存在していなかった。
青春真っ盛りの頃もまだ「恋人同士で過ごすクリスマスこそ至高、恋人がいそうな年頃に恋人と過ごしてないやつは哀れ」みたいな風潮が残っている時代だったが、相変わらず私はクリスマスが好きだった。友達とカラオケで騒いだり手作りのお菓子を持ち寄ってファンタで乾杯したりしてるだけで最高だったし、バイトをするにしてもクリスマス前後はとにかく景気が良く儲かって、むしろ彼氏がいたら予定空けなきゃいけないなんて大変だな、とすら思っていた。
私は陰気でモテないひねくれオタクだが、陰気でモテないひねくれオタクなりにクリスマスを満喫してきたと自分でも思う。
そんな私がクリスマスに対してまだこれはやり残しているなと思うのが、クリスマスマーケットである。


クリスマスマーケットというものを知ったのは「マインドアサシン」という少年漫画からだ。
アラウンドフォーティーオタクの皆様なら大抵「ウッ……」となるであろうあの漫画である。記憶蘇りまくったやろ。どや。
マインドアサシンは他人の記憶や精神を消したり壊したりできる医者が主人公で、1話から数話ほどの短いエピソードからなる漫画なのだが、とにかく暗い。重い。なんかもうつらい。大昔に読んだっきり読み返す機会のないままぼんやりとした記憶で書いているが、今きちんと読み直したら色々邪悪な感想が浮かんでしまいそうだ。
そんなマインドアサシンの中に、主人公がドイツに留学中のゲストキャラと一緒にクリスマスマーケットに行く話がある。細かい話の流れはほとんど覚えていないが、とにかくそのクリスマスマーケットのシーンが素敵で、まだ海外に行ったことのない多感な少女オタクの心に強く響いたのだった。
想像して見てほしい。クリスマスになっても山奥の村は山奥の村のままで夜は暗く、イルミネーションを外に飾る文化もまだなく、クリスマスらしい売り買いの場といえばキラキラモールが飾られたいつものスーパーで、最近までシャンメリーに狂喜乱舞していたような子どもが初めてクリスマスマーケットなるものを知った瞬間を。
またその回がちょっと大人っぽい雰囲気というか、年頃の男女の話なのにいかにも恋愛っぽくはならず、かといってお互い何も特別な感情がないというわけでもなさそうな感じっぽいじゃん?んんん?みたいな微妙なラインで、穏やかに会話だけが進んで終わるのである。小生意気盛りの中高生にはそれが「おえてでぇーれオシャレやげ〜」などと思えたのだ。
学校のジャージ姿で布団(ベッドではない)に寝転んだまま異国の静かな夜を想像する。テレビの部屋(リビングなどという小洒落た空間は存在しない)から大音量で聞こえてくる水戸黄門の再放送が若干邪魔をするが、そこは妄想力の強いオタクである。耳栓などなくとも乗り切ってみせる。
見たことすらないホットワインに憧れながらアルファベットチョコやポテトチップスのりしお味をぼりぼり貪り、以前「世界の車窓から」で見たことのある異国の電車に乗る自分をイメージする。その電車がドイツの電車だったかどうか全く自信がないが、もうなんかそういうことにしておく。私の村の電車は廃線に怯えている。
天井からぶら下がる紐をカチカチして点灯するタイプの蛍光灯の下で、ほの暗いロウソクの炎や愛らしいイルミネーションにきらめく白い雪を瞼の裏に浮かばせる。明日の朝雪かきせんとかんでー、早よ起きなかんでこれはー、などと土間で近所の婆様と喋っている我が家の婆様の声は極力聞こえないふりをする。
何しろ異国なので、石畳の路地で静かに演奏している音楽隊なんかもいるかもしれない。バイオリニストとかかっこいい。バイオリンの生演奏なんて聴いたことないけど。
そこまで妄想したところで仏壇の方からリズミカルにチーンチーンチンチンチンチンチンチンと音がして妹が怒られ始めた。違うそうじゃない。
全く涙ぐましい努力である。穏やかでおしゃれで少しさみしい感じのクリスマス、というのは田舎の学生にはなかなか実現が難しい。そもそも私が穏やかでおしゃれで少しさみしい感じの人間じゃないのだ。情緒が瞬間湯沸かし器でダサ山ダサ子でひねくれているわりにイベントごとにはすぐ浮かれて乗っかっていく。かずいも苦笑いするしかない。
いつか本当にドイツのクリスマスマーケットに行ってみたい。そんなことを考えているうちにあっという間に20年以上経ってしまった。私はまだドイツに行ったことはない。


あの頃に比べて今は海外がぐっと身近になった。旅行はもちろん、インターネットをちょっと覗くだけで簡単にリアルな情報が手に入る。
クリスマスマーケットだって、今や国内の至るところでしょっちゅう開催されている。どこに行ってもオシャレでかわいくて楽しい。輸入雑貨も山ほど並んでいる。
ホットワインは思っていた味と違った。クリスマス系の食べ物飲み物に関してはイメージ通りの味だったことがないので、まあそうだよなと思いながら飲んだ。本当に体がポカポカになるのにはびっくりした。
時代は変わり私も大人になり、まあまあそれなりにリアルなクリスマスマーケットを楽しんできたはずだが、やはりまだどこかで「ドイツのクリスマスマーケットに行って、穏やかでおしゃれで少しさみしい感じを体験したい」という思いが消えない。ここまでくるともう行かない方が夢を見ていられるだろうと薄々分かっているのだが。
私の頭の中で膨らみすぎたクリスマスマーケットは、もはやこの世のどこにも存在しない場所と化している。あまりにも長い間妄想ばかりをし過ぎたのだ。
クリスマスマーケットに限らずそういう場所、食べ物、イベント、書物、映画、それらに対する中途半端な知識とリアルを知りたい欲が悪魔合体して「確かにこの世に存在しているのに私の頭の中にしか存在しなくなってしまったあれこれ」が私の中にはたくさんある。
どれを墓場まで大事に持っていってどれを現実に昇華させるか、これからじっくり選んでいきたい。すべてを現実と答え合わせしてしまうのは、ちょっとだけもったいない気がするのだ。
地元の小さなクリスマスマーケットで買った木製のサンタを飾りつつそんなことを思い出す一日だった。妄想は早いのに支度は遅い。それが私なのである。

永遠の作りかた

今日から12月である。
12月になるたびに毎回「もう12月なの!?」とビックリしてしまう。歳をとるにつれて自分の中の時間の流れと実際の時間の流れの差は開く一方だが、12月がやってきたときの「もう」感は群を抜いている。
年末という「まとめられ」感、一ヶ月の間にやたら続く大きな行事、それに伴う出費、期待しては裏切られるボーナスの額、そして山村における冬との戦い、そして冬との戦い、そして冬との、そう冬との、何回も言うけど凍てつく山村における冬との長く厳しい戦いの幕開けとなる12月に、面構えが違ってきてしまうのは当然といえば当然ではなかろうか。
とにかく今日から12月である。いよいよ薪ストーブがフル稼働する季節に突入というわけだ。


我が家は薪ストーブで暖をとっている。
薪に使える木が手に入りやすいのが田舎のいいところだ。譲ってもらった大木をチェーンソーで適当にぶった切って、ストーブのサイズに合わせて斧で割る。薪小屋である程度乾燥させればよく燃える薪の出来上がりだ。
もらえる木は様々で、柿の木やら桜の木やら山のよう分からん木やら、大抵のものは薪にできる。小屋を解体したから持ってきた、とトラックでお勤め後の木々を運んできてくれた人もいる。ありがたい話である。
桜の木や林檎の木なんかは燃やすと独特のいい匂いがする、とよく聞くが、正直あまりよく分からない。そう思い込んだ方がオシャレな感じがするな、と思うので無理やりいい匂いだと念じてみたが、やはりよく分からなかった。
私にとって薪の燃える匂いは、猫のお腹のいい匂いに繋がっていく、思い出の誘発剤のようなものなのだ。
ストーブの熱で温まった猫のぬくもりといったら、ひと撫でするだけでいやぁ冬も悪くないねと思える幸福感でいっぱいになってしまう。
実際山村の冬なんか最悪に最悪な最悪だらけでしかないのだが、猫のお腹は一時的にでもそれを忘れさせてくれるパワーが詰まっている。
夜明け前、一人リビングに降りて、まだほんのりと温かい薪ストーブの扉を開ける。
灰を掻いていると、足音もなく猫がそっと私の隣にやってくる。これから何が起こるか猫は分かっているからだ。
焚きつけ用の小枝と古紙をいくつか放り込み、細めの薪を数本入れて扉を閉める。そうすると灰の中の小さな燃え残りたちがぼんやりと赤くゆらめき、小枝がじわじわと燃えていく。じわじわじわじわ赤さが増して、ある瞬間ボッとオレンジの炎が立つ。
その光景を猫と私は一緒にぼんやり眺めている。
猫の青緑色の瞳に炎が映り込み、それが体内に吸収されているかのように毛並みがふかふかと温まっていく。
再び安定して熱を帯びたストーブの前で、猫はやれやれと寝転がる。野生らしさのかけらもない仰向けスタイルだ。前足を胸の前にちょんと揃え、後ろ足は大股開きで真っ白なお腹がどーんと丸見えである。うちの猫は真っ白なお腹にちょこんと黒い毛が丸く生えていて、隠れチャームポイントとしてよくくすぐられていた。
そのあたりをもしゃもしゃと撫でると、猫はうっとりと目を細めてさらにダランと力を抜き、もはやカーペットと化してしまう。こんな温かくて柔らかくてかわいいカーペット、世界中どこを探しても見つからないだろうけれど。
ストーブの熱が篭もった猫のお腹からは、お日さまに似て異なるいい匂いがした。外に出さず育てたのもあって、猫はいつもいい匂いがした。人間の私よりよっぽどきれい好きだったと思う。家族で一番おしゃれだった。
猫は夜行性、夜の生き物なのに、どうして日光や薪ストーブのような熱によってこんなふかふかしたいい匂いになるのだろう。太陽にもストーブにも愛されているのかもしれない。何しろ猫はかわいいので。
薪ストーブを付けるたび、私はそんなことを思い出す。
猫は三年前に亡くなってしまって、今はもういない。
毎朝私は一人で灰を掻いている。これからもずっと、少なくとも夜明け前にストーブを再生させるときはずっと一人だ。
けれど毎朝、薪が爆ぜるたびに猫のお腹の匂いを思い出して嗅げている。ふかふかの触り心地も、干した毛布で代用しなくてもこの手のひらに再現できる。ゆらめく炎の向こうに、青緑色のくりっとした瞳を思い出せる。
私にとって、冬の朝のこの場所は、かつて猫がいたストーブ前ではなく、今も猫のいるストーブ前だ。猫は永遠にここにいる。


今年の冬も厳しい寒さになるだろう。なにしろ秋の終わりぐらいからカメムシが大量発生している。あいつらほんまええ加減にせえよ。
風邪をひかないよう、家の中を思いっきりあったかくしておこう、ストーブ早朝部隊頑張るぞ、エイエイオー、と心の中の猫と共に気合いを入れて、さて12月のスタートである。

文章が上手くなりたい

文章が上手くなりたい。
いつも心のどこかでそう思っている。
威勢良く書いているときはあー文章書くのって楽しい、文章もっと上手く書けたらもっと楽しいだろうな〜フフフッと思うし、三ヶ月くらい経って当時の文章を読み返すとあー文章書くのって楽しいって思ってたけど……これはちょっとしょーもなすぎるやろ……クソ、文章もっと上手く書けたらこんな惨めな気持ちにならずにすむやろうに……畜生……と思う。楽しいときも苦しいときも、とにかく文章が上手くなりたいという気持ちが根っこにある。
三ヶ月後の自分にタイムスリップしてきてもらい、書いたそばから読んで批評してもらえばいい感じに整うのではないか、と考えたこともある。けれど書いている瞬間の、自分に酔いまくっている自分が三ヶ月後の自分の批評を素直に受け入れるとは思えない。自分同士の取っ組み合いで終わりそうだ。
なんか自然な感じで文章が上手くなりたい。今日も今日とてそんなことを夢見て日が暮れる。


子どもの頃は、自分は文章が上手いと思い込めていた。
稀代のポンコツ小学生だった私はやることなすこと全てがダメダメで常に怒られまくっていた。誇張ではなくマジのダメダメである。同世代の子がふつうにできる何もかもが私にはできず、教師はいつも「ここまで何もできない子は今まで見たことがない」と私の親に苦情をこぼし、そのたび親は途方に暮れていた。
周りの大人にとって私は存在しているだけで注意すべき点が次から次へと目につく子どもで、この子は何を書いているのか、などという生活の基礎に関係ないところまで目を配る余裕などなかったのだろう。
そのため私は客観的な批評を受けることなく、良くも悪くも自分の世界に閉じこもって文章を書き続けることができた。
自分が書きたいことを自分で書いて自分が読むのだから、読みやすくて面白いと感じるのは当たり前である。
その事実に気づくことなく、「こんなにも読みやすくて面白い文章が書けてしまうなんて……私ってきっと普通のことができない代わりに文章の才能が突出してるんだ」などと簡単に思い込めてしまったのは、出来損ないの子どもながらにプライドが持てる何かを欲していたからなのかもしれない。
そしてポンコツ小学生はやがてポンコツ中学生となり、ますます勘違いを深めていく。
文章は書かないが絵を描くのは好き、自分では作らないが読むのは好き、といった具合の、似て異なる趣味の友人たちとの出会いにより、自分の文章を他人に読んでもらう機会が格段に増えた。
面白いね、また読みたい。
生まれてこのかた何一つまともに褒められたことのない人間にとって、その言葉がどれほど嬉しかったことか。
冗談抜きで生まれてきてよかったと思ったし、人生がこれからジャンジャンバリバリよくなっていくような予感すら覚えた。光が差すとはまさにこのことである。
やっぱり私って文章上手いんだ。自分の思い込みがズレていなかったことも嬉しかった。
多感な時期に好きなことを好きな人たちに肯定してもらえたのは、本当に幸運なことだった。
別にそこから人生うまくいき始めましたみたいなことは全くなく、この後さらに20年以上ポンコツ人間として生きていくわけなのだが、基本的にポジティブでいられたのはこの時期のこの経験のおかげである。
書いたら書いたぶんだけみんな楽しく読んでくれた。もっと書きたい。読む人にとって新しい経験となるようなものを書きたい。だからもっともっと文章が上手くなりたい。自分も世界も(世界も!)びっくりするような文章を生み出したい。頑張ったらできると思う。何しろ私って文章書く才能があるから。
勘違いはそのままに、私は文章が上手くなりたいという願望をムクムクと膨らませていったのだった。


その後都会の大学に入り、言語化することに特化した人たちの群れの中で私の「私って文章書く才能がある」という長年の勘違いはバッキバキに折られ、ただ「文章が上手くなりたい」という願望だけがいびつな形で残された。
さらにその頃同人系の世界では個人サイトが盛り上がっており、気軽に「文章の才能がある」同世代をポコポコポコポコ発見できるようになっていた。
もし私が究極ポンコツ人うめめではなく、そのへんによくいるレベルのポンコツだったなら、その時点で私ごときが文章上手くなりたいなんておこがましい、苦手な現実の生活を充実させる方向にシフトしよう、と思えたのかもしれない。
しかし私は5億年に一人のスーパーポンコツ人である。ポンコツ力は軽く53万を超え、あまりの怒られ回数っぷりにスカウターは付いてこれず爆発した。どう頑張っても現実だけで生きていくのは無理である。辛い現実から逃れられる唯一無二の魔法を手放すことなどできはしない。
あーあみんないいなぁ文章が上手くて、などとちょっとひねくれた意識を交えつつ、それからも私は文章を書き続けている。さすがにもう世界がどうとかそんなことは思えない。私は分際を知ってしまった。この世界にはもう既に言語化モンスターがうじゃうじゃひしめいている。私には文章を書く才能はない。
けれどやっぱりできるだけ文章が上手くなりたい。その気持ちに変わりはない。私自身の心の平穏のために文章が上手くなりたいのだ。
お金にもならない、他者を介しての承認欲求を満たすことすらできない、そんな私の文章でも私の心をちょっとだけ軽くするくらいならできる。頑張ったらできると思う。そのために今日も明日も「文章が上手くなりたい」と夢を見るのである。ああ、文章が上手くなりたい。
きっと死ぬまでそう思い続けることだろう。