私と子どもの場合の話

長女が保育園の先生から療育を勧められたのは、二歳を過ぎた頃のことだった。
その頃の私は完全に疲れ果てていた。親のくせに長女がこだわることのほとんどが理解できなかった。冷静でいなければと頭では分かっているのに感情がそれを超えてしまう瞬間が頻繁に訪れ、私は親失格だという自己嫌悪に悩まされた。世間から親子まとめて白い目で見られることにも傷ついていた。この先子どもが社会に出ることを完全に恐れてしまっていた。
そこまで思い詰めていたにも関わらず、まだ私はどこかで「イヤイヤ期はすごいってみんな言ってるし、みんなこういうのを乗り越えてきたんだ」「親の私がもっと頑張って親らしくなれば変わるはずだから、私が悪いだけなんだ」とのんきな結論を出していた。


園の先生はとても慎重に話を切り出してくださった。
他の子ができることがこの子はできないので、という言い方はされなかったような気がする。毎日のことに困り感があるのは、本人はもちろん親さんも大変だろうという、こちらへの労りが感じられる物言いだった。
目から鱗だった。
私は昔から他の人が普通にできる全てのことが何一つまともにできないという欠陥人間であり、だから育児が人より大変でうまくいってないのも私の問題なのだと思っていた。
もちろんその問題がまるでないわけではないのだが(よその親さんがズボラ、手抜き、適当といってさらりとやれていることが私は頑張っても全然できない)、我が子の未来をよくする手段が増えた、ということがとても嬉しかった。親にできることは限界がある、と言ってもらえたことで肩の荷が少しだけ下りた。
本当に先生方には感謝しかない。簡単に言える話ではないことだ。
毎日長時間娘と向き合い、この先のビジョンまで考えた上で勧めてくれたからこう思えるのだろう。そこを忘れずにいたい。


ワクワクドキドキしながら通い始めた療育は、とてもとてもラッキーなことに長女にばっちりハマってくれた。
とにかく楽しそうにやっている。それだけで私も嬉しかった。この子にとって、社会の中にひとつ自分が楽しくやっていける場所ができた。それでもう満足だった。社会の中で、というのがポイントである。家庭だけではダメなのだ。子どもにとって家庭は楽しくて当たり前の場所だ(でなければならない)。完全な他者だらけの社会でもうまく楽しめたという経験は、大きくなったとき必ず力になる。これは楽しみずらい社会のシステムの方がクソだから社会が変わるべき、という話ともちゃんと両立する。
私は社会に一度も適応できないまま大人になった人間なので、今でも実務的な意味で社会に自分の居場所はないと感じている。ただ、友達とケタケタ喋っているときだけは自分もみんなと同じ世界で生きているという実感が持てる。
自分は自分、他人なんて関係ない、という考えももちろん大事だが、能動的に世界から自立するのと世界からこぼれ落ちて自分しかいないのとでは意味が違う。少なくとも私は世界とうまくやった上で世界から自立したかった。
先生方にうまく指導していただき、楽しく社会を経験している長女は私のようにいじけた人間にはなりにくいのではないか。少なくとも一度は私は社会でやれたんだ、やれる社会が作れるんだという気持ちが持てたのだ。こういう経験をさせてあげられて本当によかった。
楽しければいいよねと親が低いレベルで満足している間に、長女はすくすくと成長していった。こだわりをコントロールする術を少しずつ身につけ、言葉を使う面白さを知っていった。これらは親の愛の深さや頑張りとは関係ない、専門家の指導と本人の努力で伸びていったものだ。つくづく、親にできることには限界があると思わされる。親なんてただ「産んだ人間」というだけで、子を必ずベストな状態に導ける存在だなどと思ってはいけない。親も、周りの人間も。


長女が療育に通い出した頃はまだコロナも存在しておらず、保護者たちはのんきに井戸端会議をしていられた。それもまた私にとってありがたい時間だった。
あの頃はこだわりの強さからとんでもないエピソードが生まれる毎日だったのだが、療育に通う保護者たちもみんな同じ毎日を送っていた。実家で話せば親のお前の躾が悪いからそんなことが起こるんだと怒鳴られるようなエピソードも、ここではみんなあるある笑い話として流してくれる。むしろさらにパンチの効いた話が返ってきて、涙が出るほど笑わされたりもする。
社会の常識から言えば笑っとる場合かという話もあるのだが、それを笑い話として流し合えることが我々に元気を取り戻させてくれていた。
他者に「エピソード」として語ることでようやく消化できる感情がこの世にはある。
パワフルな子どもたちが集まっている中でも「半額シールが貼ってあったらアツいお総菜ベスト5」だの「ペットのオモロ写真バトル」だの「これよかったよ100均グッズ」だのといった、ごく普通の、育児に関係ない、しょうもない話がダラダラできるのも嬉しかった。子どもたちがちょっとぐらい奇声を上げようが親の足にしがみつき続けていようが「お子さん大丈夫?」と言われたり「ごめんね、うちの子ちょっと元気よすぎて」などといちいち断りを入れたりすることなく、くだらない話を続けられる。お互い「子どもってそういうとこあるよね」と分かっているからだ。
こんな普通の井戸端会議がとても楽しかった。元々の気が合う人たちとたくさん出会えたのも運が良かった。これは本当に運の問題もある。
今はコロナであまり親同士で仲良くなる機会がないのかもしれない。早く収束することを願うばかりである。


インターネットでは田舎の人間は無知と偏見から生まれた陰口しか言わない生き物みたいに言われているが、療育に通っていると告げても意外とみんな反応があっさりしていたのも印象深い。
「先輩の子も通ってた」「友達のお兄ちゃんの子が通ってた」といった、田舎によくある「謎に深い地元の繋がりと広く共有される情報」が良い方向に働いたのである。療育という言葉の意味が分からなくても、まあなんかそういう教室があって、わりといろんな人が行ってるらしいねくらいのノリだ。むしろ私が日々辛く感じるのはインターネットの中の見知らぬ人々の放つ差別的な言葉たちである。私は都会の賢い人間だと自分で思っている人たちがそういう言葉の使い方をしているところを何度も何度も見てきた。悪気はないのだろう。だからといってムカつかないわけではない。賢ければ何を言っても差別にならないと思っている人間が多すぎる。


私はたまたま運良く親子揃って「ハマれる」場所に出会えたに過ぎない。
子どもの数だけ悩みが存在し、誰かと同じやり方をすればうまくいくなんてことはなかなかない。似たようなやり方、思いつかなかったやり方、とにかくいろんなやり方を試し試し進んでみるしかないし、それでよかったのかどうかは誰にも絶対分からない。そのことは、親だけでなく周りの人間が心に刻んでおかなくてはならないと思う。周りの人間の言葉は強い。インターネット社会において「周りの人間」「世間の声」はあまりにも当事者に届きやすくなっている。そのことをよく考えなければならないと思う。
私は今だって親としてやることなすこと全てが不安だらけだ。すぐインターネットを覗いて落ち込んだり安心したりしている。私みたいな人に、あくまでサンプルのひとつとしてこの話が読んでもらえたら嬉しい。