オタク・リターン

今年の夏は、まるで学生時代のような毎日だった。
働く時間をうまいことズラせたので、長女を学童に通わせることはせず日中ずっと一緒にいたのだが、この子がまあとにかく本やら映画やらが好きな娘なのである。
図書館に通っては大量の本をせっせと家に運び、延々と読み耽る。感想を書いたり喋り合ったりする。映画を観てはお気に入りのシーンを再現してオリジナルストーリーに持っていく。
そんなことで日中たっぷり遊んで、娘たちが寝たあとの夜中だか夜明けだかという時間帯からギチギチに働き、帰ったらそのまま朝の支度をして次女と夫を送り出しまた長女と過ごすという感じで、睡眠時間は細切れを合計してなんとか数時間といった具合だった。楽しいもののやはり体力的にはかなり疲れが出てくる。これを似たような生活を学生時代はずっと繰り返していたのだから、やはり若さというのは凄い特権だ。


お金もなくインターネットもなく若者文化が栄える場所は遥か彼方、そんなしがない学生オタクを支えてくれたのはまさに図書館とレンタルビデオ店だった。あの頃の私は夏休み中の娘と同じようにせっせと図書館に通い、ビデオデッキで映画を観て、その興奮やそこから生まれた妄想をノートにシャーペンでせっせと書き込んでいた。やれることでやりたいことがそれしかないからだ。延々と、本当に延々とそんなことを繰り返し続けて夜が明けたら学校へ行く。今の私が同じことをしたら、登校途中に自転車ごと田んぼに落ちてそのまま泥にまみれて眠り続けてしまうことだろう。どんなに貧弱で運動不足なオタクでも、10代というだけで根本的な強さが違う。
やりたいことがそれしかない人間が、よくもまあ学校なんか真面目に通えていたなという感じなのだけれど、そこに友達がいたからかろうじて向かえていただけだったなと今にして思う。
あの頃誰かと趣味の話をとことん喋り合うには、学校に行くしかなかったのである。幸い私には私の書いたものを読んだり、自分の描いたものを見せてくれたりする友達がいた。彼女たちと現実じゃない話をする、そのときだけが、冴えない私が現実で唯一堂々としていられる時間だった。
長女は私とはまるで違い、運動がかなり得意で体育も大好きだ。勉強も面倒くさがりはするものの、やることはちゃんと取り組んで達成している。自分なりに好きなオシャレがあって、同世代の前で自分を飾ることに照れや卑屈さがない。それなりに楽しく小学生をやれている。まったく大したものだ。
あの頃の私から見れば「バリクソうまいこと現実やっとる子」なのだが、あの頃の私がそもそも現実で存在するにはやばすぎる子どもだったのかもしれない。長女には長女なりに疲れる現実が立ちはだかっているのかもしれず、物語でそれが癒されるなら存分に楽しんでもらいたい。現実じゃない話でしか得られないパワーは確かにあると、私自身よく知っている。


長女に付き合って自分もじっくり本を読む時間が取れるようになり、さすがに気力体力暇な時間が無限にあった10代の頃には敵わないが、それでも産後の自分よりは今の方がずっと生命力があるなと痛感した夏でもあった。
産後の私は文章が読めなかった。
ひとつひとつの単語の意味は分かるのに、文章になるとその文の意味が頭の中でまとまらない。何度も一文を読んでなんとか必死にイメージを掴めても、次の文を読むうちに前の文章が脳の中でほどけていくのが分かる。まるで文字が追えなかった。
産後の体はボロボロだからまあ仕方ない。体力が回復したら大丈夫だろう。そう思っていたのだが、何ヶ月経っても読書のカンは戻らなかった。
自分が一瞬でも気を抜けば死んでしまう生き物を育てる、というのは、脳に相当な負担がかかる。何をしていても常に娘が泣いているような幻聴が脳の遠くで続き、情緒の上がり下がりが全くコントロールできず、眠りは常に浅く自分の痙攣で何度も何度も目を覚まし、吐き気がするのに甘いものが食べたくて仕方なく、トイレを我慢しすぎた痛みなのか産後の子宮の痛みなのか判別がつかず、風呂に入る元気もなく、いつも濁った臭いにまみれ、そんなときでも娘は愛らしく素晴らしく、だからこそ自分のような人間がこんな素敵な人間の親であるという申し訳ない現実に打ちのめされ続ける。
私には妄想が必要だった。
現実に向き合って乗り越えるタイプではないのである。とにかく妄想の世界に触れなければヤバいと思い、比較的脳に入りやすいジャンルだった漫画に手を出して事なきを得た。弱虫ペダルは救いの書である。
そうして細切れに物語に触れるうちに娘たちも大きくなり少しずつ手がかからなくなり、私も次第に文章を読むことができるようになっていった。
長編の小説が読めるようになったのはほんの数年前からだ。分厚い本を手に取れるのが嬉しかった。ちゃんと集中して、現実じゃない世界に潜り込めるのが楽しかった。
この夏は特にたくさん本が読めた。本当に嬉しい。何読んでるの、と長女に訊かれてニヤニヤしながら早口で説明するのも本当に楽しい。長女の読んでいる本について説明してもらうのも面白い。久しぶりにオタクらしい、引きこもりの夏を過ごした気がする。
やっぱり私は本を読んだり映画を観たりするのが好きだ。読めなくなっても観れなくなっても、死ぬまでずっと好きだろう。
物語に溺れた夏が終わり、秋の深夜に一人、久々に観たキッズ・リターンのラストシーンに、しみじみとそう思わされたのだった。